能力の獲得

「〇〇ができるようになるためにはどうしたら良いか?」を聞かれることがある。〇〇にはプログラミングだったり楽器だったり的な何かが入る。そうした疑問を持つのは良いことだし、正しいと思う。

が、しかし、そういった問いに対しての回答として下記が該当する。

  • 「〇〇をすれば良い」と言ってちゃんと答える
  • 「"〇〇 習得" でググれ」調べ方を教える
  • 「自分で考えろ」と言って何も教えない

プログラマOJT とかだったら、「調べ方を教える」が正しいんだと思う。
趣味で何かしている人に対してはてっとり早く「ちゃんと答える」が正しいんだと思う。

問題はうまくなりたいといった意思を持った人であって、こういう人には「何も教えない」を基本にしたほうがいいんじゃないかと思う。
なんでかというと「物事を習得する」ということについては何度も壁にぶつかるわけで、その都度「自分なりに考える」必要がある。ちょうどよくコーチがいれば良いけど、実際そんなにいろんな分野にコーチはいない。

なんだかんだ自分なりに試行錯誤した結果というのは最終的にはそこそこ正しい結果になるのが多い。もちろん時間はかかるけど。

上記の自分のエピソードだと、ベースの奏法がある。
高校のとき、BPM160 を超えたあたりのダウンピッキングが出来ずに曲の途中で常に腕が疲れていた。
で、どうやったら良いか自分なりに考えた結果「ピッキングの勢いはそのままに、4弦ヒットしたら3弦に自然に脱力するようにする」ようにすればいいと気づいた。
これはいわゆるアポヤンドかアルレイレとかそういうやつだ。 この奏法を見つける前に何か色々調べたり試した気がする。そういった探したり試したりする過程そのものがベースの練習になる。

なんてことを端的に表したのが下記のツイートだな、なんてことを思っていた。

f:id:fjwr38:20191025170743p:plain

https://mobile.twitter.com/geekpage/status/1158169722908577797